2010/09/08
趣味のカメラから学ぶこと。
便利なもので、今はネットで調べると何でも分かる時代です。
私もHP作りや写真の撮り方などで参考にさせてもらっていますが、本当に便利。経験を伴わなくても、良い情報があればコピー&ペーストでなんとか形になるし、素人なのにプロっぽいことが出来てしまいます。
だけど最近、ネットで得た知識ってなんだか無機質で、結局自分の幅を広げるものではないなと感じることがよくあります。その上、結局みんなが同じ情報を共有するので、出来上がるものや今後の方向性というものがどんどん似てきているような気もします。
たとえば、趣味の写真。
私は、ダカフェ日記という素敵な有名サイトを見て、こういう写真が撮りたいなと思って、そのHPのオススメのレンズを買いました。そしてそのレンズを使ってHPに書いてある通りの設定にすると、アラ不思議。 確かに背景のボケた、キレイな写真が撮れるんです。もうそれからは写真が楽しくて仕方がなく、カメラにハマっていきました。ただ、あるとき周りを見てみると、私のようなデジタル一眼レフ初心者はみんなそのレンズをつけていて、みんな似たような写真を撮っていることに気が付いたんです。
つまり、「ダカフェ日記世代」とでもいいましょうか。
それに気付いてから、他のレンズを使ってみたり、他の撮り方をしようとしたのですが、全然思うように撮れません。それもそのはず、最初から(ダカフェ日記風の写真を撮るための)『答え』のレンズを使っていたし、仕組みを理解も体感もせず撮っていたんだから。
そもそも、同じ『答え』のレンズを使って同じ設定で撮っているはずなのに、結局ダカフェ日記のような素敵な写真は撮れません。それっぽいものは出来ても、やはり、答えを導き出した人と、答えを教えてもらった人とでは、当然ながら中身が違うんです。
ネットで精査して見つけた情報というのは、見れば一瞬だけど、その情報は時間や経験の上に積み重なって得られたひとつの『答え』です。だけど、結局大切なのはそこまでのプロセスであり、そのプロセスを経ていないと、ネットに答えが載っていない問題に直面した時、新しいことにチャレンジしようとした時、どうしていいか分からなくなります。
もちろん、答えを知った上でどう表現をするか、ということも大事ですが、小学校の計算ドリルじゃないけど、答えを知ってしまうと、どうしてもそれに合わせたプロセスを行ってしまいます。目に見えない個性、癖、そして問題を解決する本当の力というのは答えが分かった後では形成されにくいものです。
冷静に考えれば当然のことですが、こうも簡単に『答え』が分かる時代だからこそ、プロセスの大切さに目を向け、安易に答えを求めてはいけないなと思います。
その点、今の仕事である味噌や醤油づくりは、泥臭いというか、とても有機的です。
基本的には父親から教えてもらったので、正直、教科書通りの作り方ではありません。自社のオリジナルの道具や製法、「これって意味があるの?」というような、理論的にはちょっと説明できない、"おまじない"に似たような工程がいくつかあります。
でも、簡単には変えられないので、そんな"おまじない"をずっと続けています。
そういう意味において、正解かどうかは別にして、ネットには載っていない、「光浦醸造の製法」というものが確立されているし、そのオリジナリティーは今後も大切にしていかなければならないと思います。
最近、本業に関しては、昔の資料や本で調べることはあっても、「ネットでは調べない。」ことにしています。本とネットにどういう違いがあるのかという自分の意見は割愛しますが、本業だからこそ、安易に答えを求めずにプロセスを大切にしたいと思うのです。